2014/03/11

3/11*
















あの日から3年。月日が経つのは本当に早い。


私は当時大学内の図書室でバイトをしていました。突然来た大きな揺れに「来ちゃった」と思いました。慌てて外に出て近くの小学校に避難して・・・。新宿だったため帰る手段がなく携帯握りしめて皆と学校にいました。深夜に西武新宿線が動いたので公衆電話で家族と連絡をとり、迎えを頼みました。自宅に着いたのが夜中の3時近く。それでも私は帰宅できただけ幸い。群馬から通っていた子は3日帰れなかったそうです。


大学も休学。そこまでじゃないと信じたかったのに日に日に倍増する犠牲者の方々の人数。計画停電に何もできない不安と余震、警告音のトラウマ。東京に居て何をと思うかもしれないけれど、本当に怖かった。そして、被災地の方々の恐怖はどれほどのものだろうと手を合わせることしかできない苦しさ。


日本中多くの人が感じたであろう怖さと悲しさは3年たっても消えることは無いと思います。忘れようとしているかもしれない。忘れたかもしれない。でもちょっとしたことですぐに浮かんでくる心の傷。


私は今学んでいる心理学や発達学の視点から考えてしまうからだけど、被災地の方々はむしろ時間が経つほど傷みが濃くでるのかもしれない。生きることで精一杯だった状況から、自分の感情に向き合う余裕が以前に比べて出てきていると思うから。


トラウマというのはきっかけ後すぐに症状として出てくるものではありません。時に7年から8年後に目に見えることがあるそうです。


あの日に生まれた命も今や3歳。自我が出始めます。
あの日幼稚園児だった子も小学生。もっと広い社会に出ます。
子ども達の心はどのようにあの日を受け入れていくのだろう。


家族を失ってしまった方。帰る場所を失ってしまった方。つながりを失ってしまった方。
どれだけの人が、どれだけのものを失ったのか、それがどれだけ重い事なのか、私には分かち合うことすらできないけれど、それでも何かを感じていたい。


3月11日は私が一生忘れることのない日の1つ。私の中で何かを変え、日本だけでなく世界中に大きな衝撃を与えた日。


あの日は絶望の始まりではなく、希望の始まりだと、いつか思えるようになってほしい。
私自身がそう思いたい。
強く生きていきたい。生きてほしい。そして笑ってほしい。


あの日に亡くなったすべての方、未だ行方不明の方、失ったものに苦しむ被災者の方、ご遺族の方、皆を助けようと粉骨砕身される支援者の方、全ての人にご冥福と、尊敬と、安全と、ご多幸をお祈りします。


1日でも早く笑顔あふれる日が被災地、そして人の心の中に訪れますように。

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