げんきにごあいさつ
木村裕一 (著), 田中四郎 (イラスト)
子どものころ読んだ絵本。
当たり前の事だけど、当たり前じゃない大事な事。
挨拶は人としての基本。礼儀の基本。コミュニケーションの基本。
挨拶ができるかできないか、お礼が言えるか言えないかでその人の品格が分かる。
どんなに成功しても、挨拶が出来ない人間は三流だと私は両親から躾けられました。
勉強が苦手でも、運動が苦手でも、きちんと挨拶をして礼儀を示せるならそれで良い。
人として1番大切なことが出来るならそれで良い。
昔から幾度となく言われてきました。いたずらをするより、挨拶が出来ないことの方が怒られました。
挨拶は全ての基本。
これが私にとっての当たり前で且つ最も大切なことに1つ。
でも最近、いえずっと前から不快に思ってる事があります。それは何度も登場する同居中の母娘の事。
もともとルームシェアを始めたのは、いくつかの概念に共通があった事と、同じ時期に引っ越し先を探してたからで、特別仲が良いとかそういうわけではありませんでした。
一緒に住み始めて、初めて知る概念の不一致にイライラしたり、年下だからとグッと我慢したり、文化が違うからと許容する努力をしてきました。
さすがに半年以上共に暮らすと諦めもつくので、目くじら立てる事もないのですが、未だに慣れないというか納得がいかないことが挨拶です。
私は朝起きたら先に起きてる人に必ず「お早う」という家で育ちました。何ら不思議なことは無いと思うのです。今まで、友達のお家に泊まったり、修学旅行、友達との旅行でも朝起きたら皆で「お早う」と必ず言っていました。たとえ起きたのが昼近くでも、「お早う」。冒頭でも書いた通り、挨拶はコミュニケーションの基本。「お早う」から全てが始まると思います。
でも、同居中の母娘はしょっちゅう「言わない」。
大抵は私が先に起きてるので、キッチンやリビングで食事中の時に相手方が起きだしてきます。つまり、むこうがすでに起きてる私に対してお早うと声をかけるのが普通だと思うのです。
私は後から起きだしたときに、必ず2人にお早うといいます。お母さんは英語が喋れないので、私は挨拶だけでも中国語で話しかけます。私が言うと必ず返すけれど、向こうからいう事が極端に少ない。
同じ空間に居ても、背中に声をかける事がない。お母さんに至っては言葉の問題かと思いましたが、お早うくらい言えるし、私も中国語で話しかけるのだから中国語であいさつでも構わないと思います。でも言わない。忘れてるんじゃなくて「言わない」。
今朝も私が食事中にお母さんがお湯を沸かし始めました。
ずーっと無言。
私はだんだん不快になり、食事を終え、立ち上がって中国語でお早うといいました。そうしたら、ようやく「うん。」
「うん。」って何!?たしかに言葉が分からないんじゃ声もかけにくいだろうけど、それは大人としてないんじゃないの?と内心激怒。
でもルームメイトも私が声をかけないと挨拶しないし(特に眠くて機嫌が悪い時!)、1番ひどいと思ったのが、昼近くに起きだしてきた無言の彼女に「Good morning」とキッチンで言ったら「Good morningの時間じゃない。」と返されました。「じゃぁ、Hello!?」と少し嫌味を込めて返しましたが笑
何なのでしょう。中国ではお早うと挨拶する文化はないのかと聞いてみたこともあるのですが、あるとのこと。そうして、もう一つ。私の名前を呼ばないこと。半年以上暮らしてきて呼ばれたのは5回ほどです。
挨拶をしない。名前を呼び合わない。
たしかに、特別仲が良いわけでもありません。でも共同生活をする以上ある程度のマナーや尊敬が必要で、挨拶や名前を呼ぶことなしに「良好」な関係性は築けないと思います。
決して悪い人たちじゃないだけに、それが出来ないことがとても悲しくて残念です。
掃除が苦手でも良い。真逆の生活スタイルでも良い。
でも、挨拶だけはしようよ。
そう思うのは私の偏見なのでしょうか?自分の文化に固執しているのでしょうか?
そう問い続けてきましたが、未だに挨拶は全ての基本だという考えに間違いがあるとは思えません。国や文化が違えど、言葉が違えど、たった一言で意思疎通ができることもある。その代表例が挨拶です。
将来、子どもを持つという事があるかもしれない。そうしたらこう教えよう。
「言葉や文化が違っても、性別や年が違っても、どんな人にも挨拶とお礼が言える勇気とを持った、それを常識とした、すてきな人になってね。」
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