2013/09/06

父と弟*




スモークタコと水菜のペペロンチーノ

イタリアンレストランで父・母・私でランチ。









昨日は寝過ぎで疲れた体を引きずり、キッチン床とバスルームの掃除をしました。同居人は本当によく2週間も掃除しないでいられるなと呆れながらの掃除です。こんなに掃除したってお礼の1つもないんですからね。当たり前だと思ってるのか・・・



夏野菜焼きカレードリア

母オーダー。野菜がたっぷり。
でもちょっとしょっぱい;;










スモークチキンとクリームコーンの石焼ピッツァ

生地がモチモチで普通に美味しい。










里帰り中はお家ご飯がほとんどでしたが、外に食べに行ったりもしましたよ。あとお菓子!!なんたって和菓子が食べられる~という事で買い物に行っては一口和菓子を籠の中へ・・・◎
かりんとう饅頭、黒大福、お団子、カステラなどなど・・・あんこが体にしみわたりました。



みたらし・あんこ・うぐいすの3種盛◎
一口サイズなのが嬉しい。










あとね、大好物のミルフィーユ!私は生クリームが苦手だけどカスタードクリームは大好き。近所のケーキ屋さんで昔からケーキが食べたいときはここで買ってたんです。ここのミルフィーユはパイの間に甘さ控えめカスタードがたっぷり。カナダではカスタード系のお菓子が少ないのですっごく食べたかったの◎



残念ながらカスタードが残り少なく、半分は生クリームでした・・・
でも相変わらず美味しい◎









昔から私の家族はそれぞれバラバラ。性格も違えば好みも違うし、家族より他人優先の性質です。でも皆、家が好きで必ず戻ってくる。私はこれは絶対の信頼関係の上に成り立ってるんだと思っていました。

でも今回母が倒れたことをきっかけに、家族の事をもう一度見直してみると違いました。家族がバラバラだったのは皆自分のことしか考えていなかったから。ただ一人、母を除いては。そして皆が家に帰ってくるのは、母が守ってくれるから。

皆それぞれが自分なりに家族のことを想っています。でも各々平等に大切にしてるかといったらそれは違う。現に父は母が1番です。

私と弟は父に対して「お父さん」という感覚はあまり湧きません。父は本当に不器用な人だから、愛情の示し方が分からない人です。自分が子供時代に親からの愛情を受けなかった事が大きいとは思いますが、母がどんなに言っても父親らしいことをしてくれませんでした。学校行事に来ることもなければ、「間がもたない」といって入学祝いの外食に参加せず、大学の卒業式も日時を知らせたにもかかわらず来てくれませんでした。



母とコリアンランチ。
豆乳冷麺はさっぱり。










もちろん、暴力をふるうとかではありません。特に娘である私は可愛いらしく、滅多に怒ったりしませんし、私といる事が嬉しいようです。ちゃんと養ってくれて、学費も出してくれて、感謝の言葉以外にありません。でも、それは母が私を応援してるからでしょう?と思うのも事実です。
父が最後にとるのは母だと確信したのが、あまりにも子供の為に時間を割かない父に苛立った時、抗議する私に対して言った言葉、「お金だけじゃ駄目なの?」

あまりのショックに言葉を失いました。
誰よりも我慢強くて、誰よりも寂しがり屋で、誰よりも優しいはずなのに、あまりにも間違いを犯し過ぎる人です。そして間違いから学ばない人です。何を間違えたのか考えない人です。

ある時期から私は吹っ切りました。感謝は忘れないし、恨むとかでもない。私たち子どもが1番じゃなくていい。母を誰よりも大切にするならそれでいい。そう思っていた。

私はいつもコレ!
石焼ビビンバ◎コチュジャンたっぷりかけて頂きました。










でも1年ぶりに帰って、憔悴した母と、父と弟を見て理解しました。

母を追い詰めたのは父と弟だと。

きっかけは私だったと思います。私が留学したことが大きく、私が精神的に辛い状況にいたことで母は何とか私の気持ちを共有しようと頑張ってくれました。私たちは昔からとにかく話します。何気ない事、悩み、考え、分析、討論。私たちは浅い事から深い事まで話し合う事によって、お互いの心を整理して、気持ちを切り替えていたのです。でも私が家を出たことによって成り立たなくなりました。学が無く、本も読まず、いつもどこかズレている父と弟は母の話し相手には成りえなかった。

そして2人は母が本当に望んでいる事、言葉を理解していなかった。
倒れた母を前に父は泣いたそうです。でもそれは母の為ではなく、自分の為。母がいなくなるかもしれない恐怖とその中に取り残された自分の為。そして何も言わない、何もしない弟。



2人でシェアしたチジミ。
モチモチ最高◎










私が2人を見て抱いたには途方もない悲しみだった。なぜ、わからないのか。なぜ考えないのか。なぜ、まだ母を責めるのか。
口でどんなに心配だと、涙を流しても母が退院した夜にはいつも通り晩酌をする父。
どんなに気を使いながらも、出勤前に「今日は弁当ないよね?」と聞く弟。

書きだしたらキリがないほど、ズレている2人。
そして2人の言動から見えるのは、「俺がこんなに心配してるのに何でまだ具合が悪いんだ」という感情。それが母を途方もなく責めて、追い詰めていた。母の愛情と信頼を1番最悪の形で裏切っていた2人を見て、本当は昔からこうだったと。本当にバラバラの家族だったとそう思いました。

母は病気では死なない。
でも、この2人に殺される。

母の髪が抜けたのも最後のSOS信号だったんだと思います。私は2人と話しました。弟は旅行で私がカナダに帰る後に帰ってくるので時間がなかったのです。2人が母のことをどうとも思ってないとは思いません。それでも2人の言動は全てが自己中心。あまりにも弱い2人。痛々しい母から目を背け、怒らせないことだけに気を配り、様子を伺う2人。

お母さんのことが本当に心配なら、お母さんの為に強くなって。
いつか、あの時お母さんが倒れたおかげで自分の弱さと向き合う事が出来た。ありがとう。
そんな風に言える自分になって。
そうして強くなって、お母さんを安心させて、お母さんの好きな事が出来るようにしてあげて。
本当にお母さんが望んでいることを理解して。

私は帰国してから母の前で1度も泣きませんでした。でも2人の前ではあまりの悲しみに泣きました。でも目をそらさずに訴えました。2人はずっと私から目をそらしてたし、弟は最後まで自分から何も言わなかった。でももう子供じゃない。口で言ってどうにかなるなら、もっと昔に私たち家族は方向修正ができてた。

私自身が変わる事。
私自身が2人の為に祈る事。
もうこれしかない。私は2人に感謝してはいるけれど、きっと心の底から好きとは言えないと思う。まず私から変わらなくては2人に変われというのは傲慢なのかもしれない。

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